みなさん、こんにちは運営委員Hです。
いつも自己発見の会の活動にご理解とご協力をいただきまして、ありがとうございます。今年もよろしくお願い致します。
手と手を合わせるという行為。合掌に対して(差異はあると思いますが)広く認識されているのは、「祈り」という宗教的なニュアンスを感じる人は少なくないと思います。
仏教から生まれたとされる内観は吉本伊信先生によって宗教性を排除し、どなたに対しても体験できるように変容をしてきているとされています。にも関わらず、吉本先生は内観者に対し合掌をして面接に臨んでいました。現在に至っても尚、各研修所の面接者の先生方は内観者に対して合掌をし、面接に臨むのです。
その行為の根幹にあるものはなんなのでしょうか。
沖縄では手を合わせ祈る行為を総じて「ウートートー」と言います。
ウートートーの語源は、「御尊々」「あぁ、尊い」つまり、尊くて思わず手を合わせる、ということだと理解しています。
ふと自分を振り返ってみても、誰かに厚意をいただいた際、思わず手を合わせてしまうのです。相手の尊い厚意に対して感謝するためなのですが、ほとんど無意識で行っています。
内観を通して自分に真剣に向き合う行為に対して、面接者だった吉本先生は手を合わせずにはいられなかったのではないでしょうか。
宗教性を排除した「内観法」にとって、吉本先生がどうしても排除できなかったもの。合掌。
人によっては合掌そのものが宗教的に感じるかもしれませんが、内観に取り組んでいる人間そのものが「あぁ、尊い。」合掌せずにはいられない、という信仰心に基づいた反射的なものだったのでしょう。
内観面接時における合掌という行為は宗教的なものではなく、尊いものに対して手を合わせずにはいられなかった「想いの現れ」だったのではないかと私は考えています。
今回も最後まで読んでくださってありがとうございました。
次回もお楽しみに!