皆さん、こんにちは。運営委員です。
いつも自己発見の会にご理解ご支援ありがとうございます。
今回は運営委員第三弾のブログということで、最近感じたことを徒然なるまま書いていきたいと思います。
みなさんは日常内観をしていますでしょうか?
集中内観を体験された方々へお帰りの際に必ず一声「集中内観は単なる練習です。
日常内観が本番なので日々継続できるよう頑張ってくださいね」とお伝えするようにしています。
しかし最近ふと考えることがあるのです。
「日常内観をする」ことが本番なのだろうか?
もしかしたら日常内観すらも訓練なのではないだろうか?
「大切なのは内観の実践だ」とよく言われますが、
それは「集中内観を何度受けたか」でもなく
「毎日三項目に取り組んでいる」ということだけでもないように思えるのです。
集中内観も日常内観も目標は「日常を内観的思考で生活する」ことではないかと思うのです。
つまり集中内観で得た気づきを日常生活に持ち帰り、
日常内観で練習した内観的思考で行動することが「内観の実践」なのではないでしょうか。
だとすれば(内観三項目をすることが全く無意味というわけではないが)
内観三項目を考えるのは上手にできても、これまでと同じようなトラブルを抱えたり、
人間関係に悩んだりするのは内観が実践できていない証拠のように思えてくるのです。
職場・嫁姑・夫婦・子育てなどの人間関係、病気・介護・死に対しての苦悩、
将来に対する不安など人生には心が折れてしまいそうな事が本当に多くあります。
そんな時に内観で気づき、封印していたはずの現実逃避や責任転嫁・自己中心的な考え、
被害者意識といった“いつものクセ”が顔を出してくるのです。
実践レベル(=日常生活)では“いつものクセ”に支配されてばかりの自分がいます。
何回集中内観を体験したとか、毎日日常内観をしているということが内観の為の内観になっていないだろうか。
日常生活で起こる様々な困難に直面した時に内観的思考で行動し、感謝報恩の心持ちでいられるだろうか。
人生における様々な課題に直面した時が実践の場であり、自身の内観力が試されているように思うのであります。
その為にも日常内観という訓練をしておきたい。人生の好調な時にこそ備えておきたい。
訓練した成果を試すことを「試練」というなら内観を実践し検証できる試練に感謝できそうな気がしてきた今日この頃です。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
次もお楽しみに。